こういう人間です
盛岡市在住。ライター。
性格偏屈。趣味はないが嫌いなものはない。 20年余りの都会暮らし、 10年余りの山暮らしを 経て現在6年目のニュー タウン暮らし。 いまいるところがいつも いちばん好きなところ。 メールはこちらへどうぞ 以前の記事
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by northend
| 2009-10-01 21:19
山頂到着は12時10分。 なんだかんだいいながらも、老骨にムチ打って登ってしまったなあ(笑) 形としては次男に引っ張られたようなものだ。 お、そうだ。 今回は自由研究のサポートだったのだ。これを忘れてはいけないというので、 お鉢や火口湖を見下ろす場所に次男と腰かけて、お茶を飲みながらあれこれと 講釈をする。 岩手山というのはまず西側が爆発したのだ。 その火口壁が屏風尾根や鬼ケ城で真ん中に湿原があるのは噴火口なのだよ。 いまの山は後から爆発して、ここにも丸い火口ができてムクムクと盛り上がっているのが 妙高岳だな・・・などと、昔仕入れた怪しげな知識をひけらかして次男に教える。 登ってくる途中でも溶岩流の広がる様子とか、新しい噴火口の写真も撮っておいたので、 まあ、あとは本人が感想をまとめれば一丁上がりだな。それから三ヶ所で 溶岩の小さな欠片を拾わせている。流れ出したばかりの溶岩は高温で、 下るにつれて温度は低くなってスピードもゆっくりになる。それだけ粘性が強くなる。 それが溶岩の形状にどう表われるかというのが今回のテーマなのだ。 地球物理学の初歩ですね。じつをいえば当てずっぽうな狙いなんだけど(笑) 高い山に登ったのは久しぶりだから嬉しかった。 最近はろくに散歩もしていなくて、ひと月ほど休みなしで仕事していたから体力も 不安だったけど登ってみればまだまだ余力はありそうでそれが嬉しい。 次男も同じで、「喘息で体力落ちていると思ったけど自信がついた」という。 つぎは雪の積もったころに登ってみたいというから、 ああ、10月の終わりごろなら山頂は白くなっているな、 ふもとの紅葉も映えてきれいだろうなと想像してみた。受験生にも気晴らしは 必要だから長男も引き連れて登ってみるか。山小屋泊まりにして問題集でも 解かせるか(笑)あいつは雪を見ればそれだけで喜ぶだろう。 あんまり気持ちがいいから頂上でもっとのんびりしたかったけど、 そうもいかない事情があった。 その日は甲子園で花巻東が第4試合に登場する。4時ぐらいに始まるだろうから、 これはテレビで観なくちゃいけないということで、12時40分、出発。 日本百名山と書かれた山頂表示をバックに次男の写真を撮って、 さっき登ってきた道を下り始めた。 子どもの顔を出せるのはこれが最後かな。 下り始めてしばらくすると、両腕にストックを握ったおじいちゃんがゆっくりと 登ってきた。ああ、あのコマクサ畑を見て「もうここで帰ろうか」と悲しんでいた おじいちゃんだ。あの後もたぶん、「ここまで来たんだから」と言い聞かせながら ゆっくりした歩調で登り続けたのだろう。とくに息を荒げるでもなく、 穏やかな顔で行方を見上げたときにちょうど目が合った。すごいすごい、頑張ったんだ。 思わず声をかけてしまった。 「もうすぐまたコマクサが出てきますよ。下より色がきれいです。頂上の周りにも 咲いてましたよ」 おじいちゃんが笑った。嬉しそうに「ありがとう」と頷いて、また頂上を見上げて ゆっくり登っていった。 あのくらいの歳になっても、一人で山を歩ける男でありたいなとつくづく思った。 気まぐれに続けてきたブログですが、今回の記事でほぼ画像容量が一杯になりました。 ひとまず『大きな楡のテーブル』は終了します。 こういった身辺雑記風ではなく、なにかべつの形で発信できるものはないかと 考えています。 長い間、おつき合い下さいましてありがとうございました! ps 記事はしばらくこのままにしますが、 スパムが入り込むのでコメント欄は削除します。 みなさまのせっかくのコメントを勝手に削除することになりますが、どうかご了解ください。 #
by northend
| 2009-08-16 20:26
山に登り始めて最初に泊まった山小屋は奥多摩の七ツ石だった。 これもまったくいきさつ不明で、たしかいつも大酒を飲んでいる友人と 「たまには山でも登るか」という話になって、「そうだ、酒ばかり飲んでても しょうがない」と決まった。で、生まれてはじめて登った山が2月の雲取山だった。 当時のぼくはまったくもって独身貴族で、仕事は忙しいけど遊ぶヒマがない。 だからカネなら唸るほどあって(笑)、さっそく山道具屋に出かけて登山用具一式 買い求めた。ただしテントだけはまだ買わなかった。そういう発想がなかったのだ。 2月の雲取山は素晴らしかった。 ぼくは苺をワンパック持っていき、さらにはその苺を盛り付けるガラスの器まで 買い込んで、コンデンスミルクも買い込んで、雲取山の頂上で雪に苺を乗せて ミルクをかけて食べた。ああいうバカげたことが楽しかったのだから、 それ以降の山もすべて遊興の世界だったと思っているが、のめりこんでしまうと そういう他愛のないことはあまりやらなくなったがやっぱりどこかで楽しみつくす 山という考えがずっと残っていた。 七ツ石小屋のおじいちゃんは面白い人で、薪ストーブにお釜を載せてコメを炊いていた のだけれど、そのわきにぼくらが鍋を載せて蓋を開けるたびに「5分遅くなる」と 笑っていた。早く食べたいからせっかちなぼくらがしょっちゅう、鍋の蓋を開けた みたいだった。登山者はほかにいなくて、ぼくと友人とおじいちゃんで話し込んで お酒もたっぷり飲んでその夜は小屋の布団でぐっすり眠った。 翌朝、おじいちゃんはストーブで沸かしたお湯でお茶をつくってくれた。 ひと口飲んで、?と思った。おじいちゃんはニコニコしながら、 「何のお茶だかわかるか」と訊いてきた。「山小屋のまわりにいくらでもあるよ」と いうのだが、ぼくにはさっぱり見当がつかなくて降参したら「熊笹だよ」と言われた。 ぼくらはガクっときて飯ごうでご飯を炊いて納豆飯をつくってかき込んで雲取山に 登った。あのおじいちゃんとはその数年後も一度泊まりにいって話したがちゃんと 覚えていてくれたなあ。 で、岩手山に戻ろう(笑) 先に着いた次男は平笠小屋の前でポツンと待っていた。その姿が寂しそうにも 見えたので「ああ、悪いことしたな」と思ったがじつは腹が減っていただけだった。 8個のおにぎりも2本残っているソーセージも飴もお茶もすべて、 ぼくのザックに入っていたからだ。 平笠小屋はこじんまりしていて、屏風尾根から延びる岩山と頂上の鞍部にあるせいか 風も当たらなくてとてもいい感じだった。 管理人はいないし水場もないが、トイレはきれいだったし室内も片付いていたから ちゃんと管理している人がいるのだろう。室内は10畳ほど広さだが階段があって ロフトがついていてシュラフ持参で泊まるには快適そうな小屋だった。 次男と小屋の前の空き地に座り込んでまず腹ごしらえした。 パクパクとおにぎりを食べてお茶を飲んでソーセージを食べると、 「昼前なんだから頂上に登ろう」という気になってしまう。 頂上はガスのなかだがときおり風で流れて稜線が見える。 まだずいぶん高いのだが、次男の足ならたちまち駆け上るだろうしこっちはヨタヨタと ついていけばいい。二人で六つおにぎりを食べ、残りのソーセージも食べて、 11時40分に歩き出した。 岩手山は正面のコースから登ると大きな山小屋があって、そこから少し歩くと お鉢の裾につくからほんとうにひと登りで稜線に出るししかも周囲の見通しが利く。 ところが平笠小屋からだと霧に包まれていたせいもあるが、岩手山が視界を塞ぎ 過ぎるのだ。あの高みが頂上だとわかっていても、ただのコブだったらどうしようか とか余計なことを考えるのは疲れていたからだろうなあ。 でも黙々と登った。途中でだんだん調子が出てきた。 ジグザグに切られた登山道は正面コースほど砂が深くなくて歩きやすいし、 またコマクサが出てきたからだ。さっき見た群落より数は少ないが、 花にまだ勢いがあってきれいだ。 このコース、ときおり降りてくる人はいるがあまり登山者はいない。 でもしばらく登って上を見たら、稜線を横切っていくだけの人がいる。 ああ、やっぱり頂上間近だなと思ったら先に登っていった次男が「出たよ」と叫んだ。 追いついたらそこがお鉢めぐりの稜線で、頂上はほんの目の前にあった。 左端がおにぎり4個食べて元気な次男。 もう登頂間近だ(笑) #
by northend
| 2009-08-15 22:06
はじめてコマクサを見たのはたしか北アルプスの常念岳だった。 この山は安曇野から眺めると端正なピラミッドで姿のとても美しい山だが、 何がきっかけだったか残雪期に烏川の支流を詰め登って最後は雪崩に覆われた渓から 追い返されたことがある。たしか男3人で出かけたのだ。 同じ年の夏に夫婦二組、独身男二人、小学生一人というメンバーでやっぱり烏川から 登るコースを選んで常念小屋の裏にテントを張り、翌日は小雨の中を傘を差して 頂上に登った記憶がある。遠くが見えなかったぶん、 足もとのガレ場に咲いているコマクサと雷鳥はよく覚えている。 といっても、コマクサの周りには小石が積んであって、いかにも貴重な高山植物という 印象だったから数は少なかったのだろう。 それ以外、コマクサに出遭った記憶はない。ひところずいぶん山には登ったが、 夏のシーズンには沢や岩尾根ばかり歩いていたし、混雑が嫌いで奥秩父の人けのない 山に登ることが多かったような気がする。 そのコマクサが焼走りコースに多いことは知っていたが、 時期が遅いし咲いているとしてももっと頂上に近い場所だろうと思っていた。 ところが第一噴火口を過ぎて間もなく始まった長い砂地の直線の登りは、 コマクサのお花畑を横切るコースだったのだ。 頂上方向を見上げても、ふもとを見下ろしても、ピンクのコマクサがあちこちにある。 もちろん盛りは過ぎていて、花を落として茎だけが立っている株が多いのだが、 ほんの1割の花が残っていたとしても見渡すかぎりコマクサの群れなのだ。 コマクサの葉は薄緑で根元にコケのように広がっているのだが、 その薄緑の葉なら斜面にいくらでも散らばっていて、「ああ、これが満開のころなら きれいだったろうなあ」と少し悔しくなった。 両腕にストックを握ったおじいさんが、息を整えながら立ち止まっていて、 追いついたので「残念でしたねえ、7月半ばだったらきれいだったでしょうね」と 声をかけると、そのおじいさんは泣き出しそうな顔をしてこんなことを言った。 「コマクサが見たくて登ってきたのに。7月は雨ばかりでとうとう来れなくて、 ああ、もっと早く登りたかった。もう引き返そうかと思ってます」 訛りのないきれいなことばだったので、もしかして遠くから来たのかもしれない。 ぼくは近所だし子どもの自由研究の手伝いだから気楽なものだが、 わざわざ遠出しても見たいほどこのコースのコマクサは見事なんだろうなと思った。 長い長い砂地の直線を登りつめると、やがてツルハシという標識のある場所に出た。 もう一つの登山道がここで合流している。だらしないことにぼくは地図も持参して 来なかったので、ここから目指す避難小屋までどれくらい歩くのかもわからない。 それでも歩き出してまだ30分も経っていないような気がして、 次男には「あと30分歩いて休もう」と声をかけると元気な少年は木の根が出ている 急な山道を先に立ってどんどん登り始めた。 次男の後ろ姿を撮ってカメラをポケットに収めるともうその姿は消えている。 声は届くだろうと思って「おーい、とにかく小屋に着いたら休んでいろ」と 叫ぶと「オッケー」と張り切った返事。あいつは人生まだ一回りだ。 おいらは5周もしている。少年よ、大志を抱けなどとブツブツ言いながら よたよたと後を追いかけた。 コマクサがあったんだからもう森林帯は終わりだろうと思ったらとんでもなくて、 ここからの登りはきつかった。ダケカンバやナナカマドの樹林帯だが段差の大きい 岩や木の根を乗り越えて道は延びていく。 それでも道の両脇には山の花がいくつも咲いている。 花の名前は思い出せないのが多いが、カニコウモリ、サンカヨウ、クルマユリは わかった。丈が伸び過ぎて最初は「はてな」と思ったが、二粒実の入ったような タネがあるのはシラネアオイだろう。そう気がついて見れば、 このコースはシラネアオイが道の両側にびっしりと並んでいるのだ。これも 花のある時期なら見事だったろうなと思う。 ときおり下山の人とすれ違う。 「子どもと会いませんでしたか」と聞くと「会いましたよ。駆け登っていきました」と 笑われた。心配するなら子どもより自分だな気がついてこっちも苦笑いしてしまう。 結局、6合目の平笠小屋に着いたのが11時15分。 腕時計は次男がつけていて、ぼくを見ると「25分待ったよ」と言う。 ということは、こいつは休んだ噴火口から小屋までほんとうに1時間で登ったのか。 #
by northend
| 2009-08-14 20:43
夏休みもいよいよ大詰めで、いつものことだが小学生の自由研究のお手伝い。 次男も来年は中学だから、これが最後だな。 わが家の場合、子の自由研究はほとんどが親の趣味の延長になる。 たとえば豆腐を作って食べたり、粘土で器を作って野焼きしたり、 スズメバチの巣を丸ごと持ち込んだり、 蔓植物の右巻き、左巻きを調べたり、 毎年あの手この手を考えて親も興味があったり自分の調べてみたいテーマを選ぶ。 去年の夏はたしか、久しぶりに山に登りたいというのでかみさんが子どもと 一緒に早池峰に登って高山植物の写真を撮ってきた。 コースを描いてプリントした写真を貼って短い感想をつけておしまい。 これだって実地がまる一日、制作がさらに一日だから立派なもんだ。 今年はどうするか考えて、天気が悪くて泊りがけの岩手山縦走ができなくなったので、 では溶岩の研究をしようということでぼくが手を貸すことにした。 焼走りの溶岩流を見学して、ついでに焼走りコースを登ってくるという、 まあ、親の興味優先、子の得意分野というやつで、 空模様を眺めながら昨日、実行した。 最初から頂上に登るつもりなら朝は早いほうがいいのだが、 このあたりに微妙な心理があって、なにせこっちは運動不足で体力、脚力には 不安がある。天気も午後からは崩れて夕方には雨の予報だった。 あんまり意気込むこともないんじゃないかなと思いつつ、それでも少し早起きして、 朝ご飯食べておにぎりたくさんつくってもらって7時ちょっと過ぎに家を出た。 途中、道に迷って遠回りしてしまい、駐車場に着いたら8時近かった。 見上げれば頂上はずいぶん遠いし高いのだ。気持ちが引いているときの山は だいたい大きく見えてしまう。 焼走りの溶岩流ははじめて見たけど圧巻だった。 焦げ茶のゴツゴツした溶岩が裾野を一面に埋め尽くしている。 一木一草見当たらない荒涼とした眺めだが、これが生まれたばかりの大地かと思えば 不思議な気がしてくる。観察路は横切るように延びていたが、 それをそのまま歩いてしまえば登山道から離れるので途中で引き返す。 「とにかく登ってみるか」と登山者カードを記入して歩き始めたのが8時30分。 コースガイドではたしか1時間半ほども登れば噴火口の跡があって、 そこからの眺めは気分いいらしい。溶岩流がふもと目指して流れ落ちた様子も わかるだろうし、あとは小さな石を拾って模造紙に絵を描いて、もっともらしい 感想を書けばいいのではないか。 そう思っていたが、何せ次男は足が速い。山登りはとくに元気になる。 遅い出発だったから登山者はもうずいぶん上のほうにいるのだろうと思ったら、 家族連れのグループに追いつき、おじいさんの単独に追いつき、 1時間ほどで目指す第二噴火口に着いてしまった。 登山道から少し外れているので静かでゆっくり休めた。 足もとにはさっき見た溶岩流があって、 噴火口らしく大きな窪みもある。 遠くに目をやれば八幡平から七時雨山、姫神、そのふもとの集落がみんな 静かな緑のなかにある。 ここでゆっくりお茶を飲んだり、山にはかならず持っていく魚肉ソーセージを 二人で一本ずつ食べた。 ぼくが次男と山登りするのは久しぶりだ。たしか5年前の1年生のときに家族で 岩手山に正面の柳沢から往復した。あのときだって次男にはついていけなくて、 途中で何度も待ちぼうけさせてしまったが、最近はこいつも喘息の発作が短い間隔で 起きていて昔のようには頑張れないだろうと思っていた。 サッカーの練習や試合にはちゃんと出ている。つい数日前も沿岸の町で合宿があって、 走り回った後で海にも入ったらしく、大部屋で遅くまで仲間と遊んで寝不足だったのか 帰ってきたら頬がこけていたので驚いた。だからまあ、今日は本人も慎重に行くだろう と思ったが山は山で違う体力が湧いてくるらしい。 だからいたって元気で朗らかだ。 喘息というのもよくわからない病気で、季節の変わり目が油断できない。 梅雨時の寒さとか秋の長雨の時期は症状が出やすくなる。これは気温と気圧も関係が あるみたいで、低気圧にはとにかく敏感に反応する。 だとすれば、山登りなんて低気圧のなかに入っていくようなものだし、まして 天気は下り坂とわかっているときに無理させていいんだろうかと考えていたら 「お父さん、行こうよ」という。9時50分に出発。 頂上を見上げればまだまだ遥かな高みなのだが、 「行こうよ」というのは登ろうよということで、とにかく頂上下には避難小屋があるから そこまでは登るかと腹を決め、次男先頭でまた歩き出した。 間もなく第一噴火口跡で、そこには数人の登山者が休んでいた。 砂礫の大地でここも眺めが良さそうだがとにかく進む。 ぼくはコースがよくわからないが小屋までは1時間も 歩けば着くのだろうと思っていたから、「次の休憩は1時間後だな」とだけ次男に 言って山腹を斜めに登っていくと一直線の道に入った。 #
by northend
| 2009-08-13 22:39
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