こういう人間です
盛岡市在住。ライター。
性格偏屈。趣味はないが嫌いなものはない。 20年余りの都会暮らし、 10年余りの山暮らしを 経て現在6年目のニュー タウン暮らし。 いまいるところがいつも いちばん好きなところ。 メールはこちらへどうぞ 以前の記事
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春休みがやっと終わる。 明日から子どもたちは学校に行ってくれる。お互い、嬉しい。 もう春休みも終わるんだなと思えば気持ちもゆっくりするので、 春の一日、海辺の町で遊んできた。 釜石は3歳のころから高校を卒業するまで過ごした町。 住んでいるときは嫌いだった。町が狭くて息苦しい。 あの年ごろにはどこに住んでもそう感じるんだろう。 でも思い出せば面白い町で、ぼくはほんとに町中の家に住んでいたから、 真夜中でも通りを歩く酔っ払いの叫び声が聞こえたし、車の音もうるさかった。 製鉄所が景気の良かった時代には、溶鉱炉のコークスをケーブルのトロッコで 山の上に運んで捨てる。コークスはまだ真っ赤に溶けているから、 夜にはそれが山肌を流れ落ちるのが見える。インクラインっていう。 火山が噴火して赤い溶岩が噴出すようだ。 製鉄所は三交替勤務だったから、とにかく一日中賑やかな町だった。 酔っ払いがすごく多くて、朝から酒屋で飲んでいる大人がたくさんいた。 夜勤明けの人たちだって、仕事が終わればやっぱり一杯飲みたくなる。 サラリーマンが仕事終われば飲むのと同じで、 それがたまたま朝の8時でも飲みたいのは同じだ。 酒屋もちゃんと早朝から営業していて、立ち飲みの客があふれていた。 パチンコ屋、映画館もあちこちにあったし、妖しげな一画もあった。 おまけに漁港だし、十万トンの船が停泊できる岸壁もあったから 外人が多い。白人、黒人、アジア系が昼も夜も町を歩いていて、 思い出せば恵まれた少年時代ではあった。 いまの釜石はとても静かだ。それから港も町も川もきれいになった。 日本中、どこに行っても景気の良かった時代というのがかならずあって、 いまはダメだっていうけど、もうピークを過ぎたと思えばそれで済む。 町にも余生があっていい。 これぐらいの船が一隻欲しいな。磯めぐりして、釣りしたり昼寝したり、 飲み友達とウダウダ宴会したり、夫婦ゲンカしたときには船に逃げるというのもいい。 とかバカなこと考えて、海辺から町にふらふら戻る。 釜石は艦砲射撃で徹底的にやられた町で、古い建物はほとんど残っていない。 では町は安っぽくてペカペカしているかというとそうでもない。 土地の狭い町は建物を大事にする。 なんでもない倉庫や蔵をいまでも重宝している人がいる。 急な斜面に墓地がどこまでも延びていて、それぞれ踏ん張っている。 春の一日、たまには海辺の町もいいな。 ちなみにこの日はホヤが出始めたばかり。 カジキと合わせて一杯いただきました。美味しかった。
by northend
| 2005-04-05 21:50
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