こういう人間です
盛岡市在住。ライター。
性格偏屈。趣味はないが嫌いなものはない。 20年余りの都会暮らし、 10年余りの山暮らしを 経て現在6年目のニュー タウン暮らし。 いまいるところがいつも いちばん好きなところ。 メールはこちらへどうぞ 以前の記事
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小学2年生の次男が最近、面白いことを言う。 「タビに出たい」んだって。 「オレは旅に出て行くと思う。 だって好き嫌いはあんまりないし、 どこでも眠れるし、 しゃべんなくても大丈夫だから」 「旅って、どこに行くんだ」 「わからない。でも家を出て帰らなきゃいいでしょ。 晩ご飯食べに帰らないで、そのまま外で寝ればいいんだよね」 とても的確な言い方だ。 家を出て帰らないで、外で寝れば旅。 「でもどうやって食べたり寝たりするんだ」 「お父さんは旅をしたことがあるか」 いきなり切り返してきた。 返事に困った。 時間だけならたっぷりあったころ、 とりあえず思いついた町までの切符を買って電車に乗る。 つまらないから別の場所に行き、めぐり合わせでバスや電車に乗り、 最後はなんでここにいるんだと不思議になって、 帰りの電車賃もないからとある旅館の掃除係を1週間やって、 思ったよりたくさんおカネをもらったのでバスでさらに奥に入って、 ひなびた温泉宿を見つけてそこに二晩泊まって、 翌日、山陰本線、東海道線と乗り継いで夜行列車で戻ったことがある。 そのとき泊まった温泉宿は島根の三瓶山の麓にあって、 熊谷旅館という名前だった。 一泊2食でいくらだったのか。 民宿の値段とそれほど変わらなかったから、 たぶん4千円ぐらいだったと思う。 ときどきこの温泉旅館を思い出す。 古い木造の宿で、あんまりしつらえた感じのない中庭を廊下が囲む。 部屋にはその廊下から入るので、障子一枚が出入り口で、 隣の部屋とは襖で仕切られているだけだった。 開放的といえばこれほど開放的な部屋もない。 なにせ障子にも襖にも鍵なんかないから、戸を閉めても意味がない。 ぼくは昼過ぎに予約もしないで訪ねて、 小汚い学生だったのにいやな顔されるでもなく泊めてもらい、 翌日、お握りをつくってもらって三瓶山に登ろうとした。 ところがその麓にあったナントカいう名前の池で休んでいるときに、 いきなり向こう岸の枯れ草から炎が立って、 慌てて駆けつけて火消し少年になってしまった。 細部はほとんど覚えていないが、 最初のうちは誰もいなくて一人で必死になって火を消した。 その後、どうなったか、とにかく火は収まって、 ぼくはお握りを食べて山には登らないで宿に帰った。 あのときの、熊谷旅館の中庭を囲む廊下がとても良かった。 障子を開けたまま、部屋でゴロゴロして飽きると廊下に出る。 出ても何も変わらないのだけど、 隣の部屋の人も廊下に座っている。 どうやら将棋指しに来たようで、 老人が二人、朝から部屋で将棋を指している声が聞こえた。 その将棋にも飽きたのだろう。 風呂に入って、それから廊下で生意気に酒飲んでいる若造を、 あれやこれやとからかってくれた。 熊谷旅館にぼくはいちばん安い料金で泊まったから、 飯は盛り切りの丼だった。 それでも部屋にちゃんとお膳で運んでくれる。 丼飯にはカツ丼のように蓋がしてあって、 結構、山盛りで、それを食べればおしまい。 手間がかからないから安いんだろうな。 でも朝食もそうやって、中庭の見える部屋で食べたような気がする。 二晩泊まって、もっと泊まりたいなと思ったが、 そこで帰りの電車賃に手をつけるとまた同じことを繰り返す。 それも悪くないが、 旅って帰るから旅なんだろう。 と、次男坊に言った。 「どこに行ってもいいけど、いつか帰ってこいよ」 「いいけど、気長に待っててよ」 そうか。次男がこの調子なら、もういいのか。 気長に待っていれば、たいていのことは終わる。 最近ジタバタしていたから反省しよう。 気になって熊谷旅館をインターネットで調べたら、 公民館みたいなモルタルの建物が映っていた。
by northend
| 2005-10-20 21:28
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