こういう人間です
盛岡市在住。ライター。
性格偏屈。趣味はないが嫌いなものはない。 20年余りの都会暮らし、 10年余りの山暮らしを 経て現在6年目のニュー タウン暮らし。 いまいるところがいつも いちばん好きなところ。 メールはこちらへどうぞ 以前の記事
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図書館の新しく入った本のコーナーに、 柏崎驍二氏の『四十雀日記』があった。 真っ白なカバーに、 明朝の細い書体でタイトル、著者名が記されているだけ。 歌集や句集はシンプルな装丁が多いものだけど、 『四十雀日記』は手に取っただけでスッと背中が伸びるような気がした。 パラパラとめくってみて、一ページに三首掲載のどの歌もわかりやすい。 ぼくは図書館の本を借りては期限切れになる常習犯だから、 どうしようかなと迷っていたらこんな一首に目が留まった 職業といふ列車より降ろされて立てば日の照る秋のくさはら 平成14年、定年を迎えたときの歌だ。 高校生のときに、柏崎驍二先生に古文を習った。 記憶違いがあればとても失礼になる。 たしか柏崎先生はピカピカの新卒で、 痩身、色白、面長。 授業は静かで、誠実で、生徒も黙って聞いていた。 でも面白かったわけではない。 生意気盛りの高校生は古狸のような教師には逆らいたくなるが、 自分たちとそんなに歳の違わない新人教師には、 ハラハラするような、迷惑かけちゃいけないような、 どっちかといえば保護者のような気分になってしまう。 柏崎先生の授業は、せめてその時限ぐらいちゃんと聞こうよという ルールが教室に生まれたような気がする。 どうしてぼくが、柏崎先生のことを覚えているかといえば、 誰かが「歌詠みだ」と言ったからだ。 「あの先生は歌詠みだ」 これは悪ガキどもを呪文のように縛りつけた。 教師なんて教室では偉そうなこと言っても、 授業が終わればただのサラリーマンじゃないかというのが高校生にはわかっていて、 ただのサラリーマンでもそこにいろいろな人生があると気がついたのはずっとあと。 あのころは、授業が終わっても自分を注ぎ込める世界があるというのは、 それだけでぼくらにとっては眩くて何かに値する教師という気がした。 ナマイキですみません。 ちゃんと返却期限を守ろうと思いながら、 『四十雀日記』を借りて、夕方からずっと読んでいた。 短歌はふだん目にしない。 俳句は好きだし詩も好きだが、短歌は苦手だった。 それは作者の思い入れについていけないからで、 まったくわからないか、こそばゆくなる。 『四十雀日記』は違った。 ふっと気持ちがほぐれたり、素直にうなづいたり、そんな歌がいくつもある。 中庭に来てゐる鳥をわれに指す模試受験中の野村を小突く この一首には笑ってしまった。 柏崎先生がときおり授業中に見せた戸惑ったような顔、 「でもちゃんと勉強しようよ」という顔が浮かんできた。 『四十雀日記』の返却は2週間後。 それまでにときおり開いて一つ一つ味わいたい。 ろくでもない生徒だったが、 40年もたって、 出会いに感謝したい気持ちになってくるのだから、 教師っていい仕事だなあと思った。 柏崎先生。お疲れさまでした。
by northend
| 2005-11-15 22:33
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