こういう人間です
盛岡市在住。ライター。
性格偏屈。趣味はないが嫌いなものはない。 20年余りの都会暮らし、 10年余りの山暮らしを 経て現在6年目のニュー タウン暮らし。 いまいるところがいつも いちばん好きなところ。 メールはこちらへどうぞ 以前の記事
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方言の話って、やりだすと止まらなくなるな。 山で暮らし始めたころ、 どうにも戸惑ったのが「ねまる」という言葉だった。 よその家にお邪魔すると、 たいていは玄関からドロ靴のままで入れる土間があり、 そこに薪ストーブが置いてあって板の間になる。 板の間には囲炉裏が切ってあったり、 掘りごたつが据えてある。 でも靴を脱ぐのが面倒だから、 板の間に腰を下ろす。 すると、かならず言われる。 「こっちさ、ねまれ」 これをぼくは、 「靴脱いで上がってここに横になれ」 と受け取っていた。 「ねまれ」は「寝まれ」だと思ってた。 ずいぶんいきなりくつろがせてくれるもんだなと感心したが、 ふつうはそんな非常識なことはできない。 だからぼくは、どの家を訪ねても長靴を脱がずに土間に座り、 間違っても上がり込んで横になったりはしなかった。 べつに板の間に腰掛けていても酒は飲めるし、 火のそばで暖かいし、 帰るときも立ち上がればいい。 「ねまれ」が「座れ」の意味だとわかったのは、 1年ぐらいしてからだった。 誰かに訊いたわけではない。 じつはふと気になって国語辞典をひいたのだ。 ビックリした。 調べたのは広辞苑の第二版で、 学生時代に古本屋で買ってガムテープで補修しながらいまでも使っている。 昭和44年の発行で、すでに古語辞典の趣があるんだけど、 「ねまる」はちゃんと載っていた。 意味は「くつろいで座る」とか「楽に座る」。 これで疑問はすべて解けた。 なんだ、そういうことだったのか。 誰も横になれとは言ってなかったんだ。 それからぼくは、方言というのは言葉のガラパゴスじゃないかと考えた。 かつてはどこでも使われていた言葉が、 生活様式変わったりテレビ言葉(標準語)広まって消えていく。 でも環境的に隔離された世界には変わることなく残り続けて、 それが親から子に伝わり、 いつの間にかその地域だけで生き長らえる。 だけど100年もさかのぼれば、 みんなが使っていた言葉。 それが方言じゃないのか。 つまり古語が方言にはずいぶん残されている。 ちなみに広辞苑第二版の「ねまる」には、 使用例に芭蕉の句が紹介されている。 涼しさをわが宿にしてねまる也 (奥の細道)
by northend
| 2006-03-10 22:44
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