こういう人間です
盛岡市在住。ライター。
性格偏屈。趣味はないが嫌いなものはない。 20年余りの都会暮らし、 10年余りの山暮らしを 経て現在6年目のニュー タウン暮らし。 いまいるところがいつも いちばん好きなところ。 メールはこちらへどうぞ 以前の記事
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毎年、3月の終わりごろになると『富士日記』を読み始める。 そういうふうに決めているのではなくて、 年に一度はふとこの本を読みたくなって、 読み出してすぐに、ああ、いつも今頃なんだなと気がつく。 『富士日記』は、武田百合子さんが 年末年始を富士の山荘で過ごしたあと、 いったんはあんまり寒くて暮らせなくなるから東京に帰り、 また3月下旬に山荘に戻って秋までの出来事をつづっている。 毎年、毎年、このパターン。 ファンは多い。 昭和39年から51年までの12年間の山荘日記。 元気なおかあちゃんの日記。 日々の出費が「うどん4玉60円」とか「歯ブラシ2本100円」とか書いてある。 八王子の小さな借家で暮らしていたころ、 かみさんと『富士日記』の山荘を訪ねたことがある。 武田泰淳はとっくに死んでいるが、百合子さんはまだ元気なはずだった。 だから山荘にもときどき帰っているみたいだ。 行けば会えるかもしれないという、まるっきりミーハーの発想。 昭和30年代に開発された別荘地だから、 思ったより便利で思ったより落ち着いていた。 でも山荘の所在はわからない。 管理事務所を訪ねたら地図をくれた。 住宅地図で、それぞれの山荘の住人の名前が書いてある。 「どちらをお訪ねですか」と聞かれて、つい、 「武田百合子さんです」と答えたら、 「いるかなあ、ちょっと電話してみましょうか」という。 それには及びませんとしどろもどろに返事して、 場所がわかったからとにかく訪ねてみた。 石積みの太い門に、枯れた筆で「武田山荘」とあった。 呼び鈴はない。 門の写真だけ撮って帰ろうかと思ったが、 門は開いた。こわ! もしご在宅だったら、著書を持っていたのでサインだけしてもらえばいいか。 そう考えて敷地内に入った。 「ああ、この傾斜なんだ」と感心した。 ふつう、山荘の門は家や庭より低いところにある。 せいぜい、同じ高さにある。 ところが武田山荘は門が敷地の中でいちばん高い場所で、 あとは下っていくのだった。 今日は15分、子どもとキャッチボール。 40分歩く。 もう一つ付け加えれば、早寝しないといけない。 続きは次回。
by northend
| 2006-03-27 22:42
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