こういう人間です
盛岡市在住。ライター。
性格偏屈。趣味はないが嫌いなものはない。 20年余りの都会暮らし、 10年余りの山暮らしを 経て現在6年目のニュー タウン暮らし。 いまいるところがいつも いちばん好きなところ。 メールはこちらへどうぞ 以前の記事
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武田山荘は想像よりこじんまりした建物だった。 細かいところは覚えていないが、 外壁はこげ茶の板張りで、細めの立板だった。 勝手口になるのだと思うが、 上部に色ガラスの細工した窓があった。ステンドガラスなのかな。 門から下る道を降りると、家の横にテラスがあって、 レンガで組んだバーベキューでもできそうなコーナーがあった。 そこに落ち葉がたくさんあった。風に吹き寄せられたものか、 それとも燃やすつもりで集めたのか、わからなかった。 このテラスで、泰淳氏は行水したり、 百合子さんに床屋をやってもらったりしたのかな。 竹内好氏のような仲のいい友人や、麓の気のいい職人たちと、 西の空を眺めながらお酒を飲んだのかな。 そして長編の『富士』を書き上げて体を弱らせ、死んだのかな。 そんなことをぼんやりと考えた。 『富士日記』の中には、門からの眺めが気に入って、 しばらく西の空を見ている通りすがりの人物が出てくる。 プロパンの配達に来た人が、 重いボンベを来るときには転がしてきて、 帰りは引きずって門まで運ぶ様子が書いてある。 雪が積もると、「門から家まで」ソリやスキーで遊んだことも 書いてある。 そして門から見下ろした山荘の様子を、 百合子さんはこんな文章にしている。 九時、山に戻る。灯りという灯りを全部つけた、谷底に浮かんだ盆燈籠のような家に向かって、私は庭を駆け下りる。むろあじを焼いて冷たい御飯を食べた。主人は生干しのいかを焼いて、それだけを食べた。食べながら、今日見てきたことや、あったことをしゃべくった。帰ってくる家があって嬉しい。その家の中に、話を聞いてくれる男がいて嬉しい。 このとき百合子さんは、伊豆・下田の山の上にある「土地」を見てきた帰りだった。 どういう経緯だったか覚えていないが、たしかどこかにその土地が気に入って買ったことを 書いていた。なんにもない、ただ海が見渡せるだけの土地。 その日の朝、どうして百合子さんが急に下田の土地を見たくなったのかはわからない。 『富士日記(下)』に記されたこの日のできごとは、 毎年読んでいていつも不安になるところだ。 百合子さんは全篇、つねに明快に自分の答を出す人だが、 下巻のこのページだけは、ふっとかわされた気がする。 その感覚を説明するのは、いつものようにぼくには骨が折れるのだが、 そろそろきちんと説明しなくちゃなあ、という気もしている。 昨日は1年2ヶ月ぶりにお馴染みの歯医者さん。 3本抜かれた。悲しい。 今日は新しいメガネが3個できた。嬉しい。
by northend
| 2006-03-29 23:03
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