こういう人間です
盛岡市在住。ライター。
性格偏屈。趣味はないが嫌いなものはない。 20年余りの都会暮らし、 10年余りの山暮らしを 経て現在6年目のニュー タウン暮らし。 いまいるところがいつも いちばん好きなところ。 メールはこちらへどうぞ 以前の記事
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
武田山荘を訪ねたのは、 記憶に間違いがなければ平成4年の秋になる。 翌年、平成5年の春にぼくらは山の家に移った。 移って一月あまり経ったころ、 新聞に百合子さんの訃報が載った。 平成5年5月27日逝去。 あのときの、頼りない感覚はいまでも覚えている。 百合子さんの山荘暮らしに憧れて自分も山に移ったわけではないが、 初めて住む土地というのはいつも地面が盛り上がるような感覚があって、 そこに足を踏ん張ることでずいぶん気持ちも張り詰めたような気がする。 古い神社を囲んだ古い集落の中で、 まず自分の住む土地を踏みしめるのに精一杯だった。 だから、百合子さんが死んだとわかったときには力が抜けた。 沈んでいく太陽に黒く浮かぶ富士を眺め、 樹海や湖や開拓地や、さまざまな土地を楽しそうに走り回った百合子さんが、 死んでしまったところで富士を取り巻く風景は何も変わらない。 そこにしがみつき、暮らし、泣いたり笑ったりする人間は無数いるが、 なんて軽い存在なのかと不思議な気がした。 人は土地を区切ったり囲ったり、掘ったり盛り上げたりするが、 アリのようにそこに住みつくのではなく、 土地からみればほんの短い時間を通り過ぎていくだけだ。 瞬きする程度の、一瞬。 でも、 だからこそ、人間の暮らしすべてが愛しくなってくる。 それを支えてくれる土地に、膝ついて訊ねてみたくなる。 知っているすべてのことを、教えてもらえないかと。 ぼくはスピリチュアルな世界なんか興味ないし、 科学で説明できないものは一切信じない人間だが、 ただ一つ、地霊だけは受け入れる。 泰淳氏は脳血栓で倒れ、足が不自由になったとき、 百合子さんにつかまりながら二人でいろいろなところを歩き回っている。 それを『目まいのする散歩』という一冊に実らせてくれたが、 この本を読むと、 もう土地を踏みしめて歩かなくても良くなった人間の、 奇妙な明るさが伝わってきて楽しい。 二人は、解き放たれたんだな。 きょうは散髪してきた。 襟足がスースーして、 雪降って寒さがいっそう堪えた。
by northend
| 2006-03-30 21:53
|
ファン申請 |
||