こういう人間です
盛岡市在住。ライター。
性格偏屈。趣味はないが嫌いなものはない。 20年余りの都会暮らし、 10年余りの山暮らしを 経て現在6年目のニュー タウン暮らし。 いまいるところがいつも いちばん好きなところ。 メールはこちらへどうぞ 以前の記事
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新聞の小さな囲みに地元の書店の売り上げベストテンが載っていて、 ふだんは見過ごすコーナーなのにふと目が留まった。 一位に『盛岡ノート』とあったからだ。 「ああ、この本の復刻版が出たのだな」と嬉しくなった。 立原道造は「盛岡ノート」の前に「火山灰ノート」を書き、 「盛岡ノート」の後で「長崎ノート」を書いている。 それはもう昔、ムカシのことだが、 「長崎ノート」の旅を忠実に辿ろうとして長崎まで行き着けず、 山陰の小さな町から引き返したことがあった。 あのとき、「盛岡ノート」を読んでじつは盛岡の人を羨ましく思った。 「盛岡ノート」は角川書店版の全集第四巻に収録されていて、 ぼくはどういうわけか、72年発行のこの本を、 度重なる引っ越しにもかかわらず手放さずにいた。 それは「長崎ノート」に愛着があったからだと思う。 いまでも「長崎ノート」は好きだ。 ただし盛岡に引っ越して最初に読んだのは、同じ一冊に収めてあった 「盛岡ノート」だった。 立原道造が盛岡に暮らしたのはひと月足らずで、昭和13年の秋。 住んだのは愛宕山下の生々洞。ここは深澤紅子さんの実家の山荘だという。 たぶん、バイパスから見える大きなホテルの下あたりになるのだろうが、 建物がいまでも残っているのかどうかは知らない。 あのあたり、いつも見上げて通り過ぎるだけだから。 「盛岡ノート」の中に何度も読み返すところがある。 夭逝した詩人が、こんなにも美しく誠実に書き留めてくれた町の風景を この町に暮らす人は覚えていてもいいと思う。 いまはもう望めない眺めなのだろうが。 夕空が澄んで 夕やけ雲が明るい橙色からうすい薔薇の花の影に漂ふ あの紫の色にかはつて ゆく あれは 灰色にかはつてしまうと うすやみが ひろがって 夜だ また このゆるやかな空の移りかはりを 僕は たどっている その花やかな一ときに 人の住む町は おなじ紫の靄(もや)にとざされて また ランプをともした 立原道造 「盛岡ノート」より
by northend
| 2007-02-03 22:35
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