大きな楡のテーブル
2011-08-03T17:10:24+09:00
northend
のんきなお父さんがそれほどのんきでもない日々に考えることをあれこれ
Excite Blog
転居しました
http://northend.exblog.jp/12498799/
2009-10-01T21:19:00+09:00
2009-10-01T21:38:30+09:00
2009-10-01T21:19:56+09:00
northend
未分類
まだ荷物が片付いていませんが、新しい住所を通知します。
大きな楡のテーブルⅡ お近くですのでどうぞご遠慮なく!]]>
最後の自由研究・終
http://northend.exblog.jp/12141224/
2009-08-16T20:26:00+09:00
2011-08-03T17:10:24+09:00
2009-08-16T20:26:58+09:00
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未分類
なんだかんだいいながらも、老骨にムチ打って登ってしまったなあ(笑)
形としては次男に引っ張られたようなものだ。
お、そうだ。
今回は自由研究のサポートだったのだ。これを忘れてはいけないというので、
お鉢や火口湖を見下ろす場所に次男と腰かけて、お茶を飲みながらあれこれと
講釈をする。
岩手山というのはまず西側が爆発したのだ。
その火口壁が屏風尾根や鬼ケ城で真ん中に湿原があるのは噴火口なのだよ。
いまの山は後から爆発して、ここにも丸い火口ができてムクムクと盛り上がっているのが
妙高岳だな・・・などと、昔仕入れた怪しげな知識をひけらかして次男に教える。
登ってくる途中でも溶岩流の広がる様子とか、新しい噴火口の写真も撮っておいたので、
まあ、あとは本人が感想をまとめれば一丁上がりだな。それから三ヶ所で
溶岩の小さな欠片を拾わせている。流れ出したばかりの溶岩は高温で、
下るにつれて温度は低くなってスピードもゆっくりになる。それだけ粘性が強くなる。
それが溶岩の形状にどう表われるかというのが今回のテーマなのだ。
地球物理学の初歩ですね。じつをいえば当てずっぽうな狙いなんだけど(笑)
高い山に登ったのは久しぶりだから嬉しかった。
最近はろくに散歩もしていなくて、ひと月ほど休みなしで仕事していたから体力も
不安だったけど登ってみればまだまだ余力はありそうでそれが嬉しい。
次男も同じで、「喘息で体力落ちていると思ったけど自信がついた」という。
つぎは雪の積もったころに登ってみたいというから、
ああ、10月の終わりごろなら山頂は白くなっているな、
ふもとの紅葉も映えてきれいだろうなと想像してみた。受験生にも気晴らしは
必要だから長男も引き連れて登ってみるか。山小屋泊まりにして問題集でも
解かせるか(笑)あいつは雪を見ればそれだけで喜ぶだろう。
あんまり気持ちがいいから頂上でもっとのんびりしたかったけど、
そうもいかない事情があった。
その日は甲子園で花巻東が第4試合に登場する。4時ぐらいに始まるだろうから、
これはテレビで観なくちゃいけないということで、12時40分、出発。
日本百名山と書かれた山頂表示をバックに次男の写真を撮って、
さっき登ってきた道を下り始めた。
子どもの顔を出せるのはこれが最後かな。
下り始めてしばらくすると、両腕にストックを握ったおじいちゃんがゆっくりと
登ってきた。ああ、あのコマクサ畑を見て「もうここで帰ろうか」と悲しんでいた
おじいちゃんだ。あの後もたぶん、「ここまで来たんだから」と言い聞かせながら
ゆっくりした歩調で登り続けたのだろう。とくに息を荒げるでもなく、
穏やかな顔で行方を見上げたときにちょうど目が合った。すごいすごい、頑張ったんだ。
思わず声をかけてしまった。
「もうすぐまたコマクサが出てきますよ。下より色がきれいです。頂上の周りにも
咲いてましたよ」
おじいちゃんが笑った。嬉しそうに「ありがとう」と頷いて、また頂上を見上げて
ゆっくり登っていった。
あのくらいの歳になっても、一人で山を歩ける男でありたいなとつくづく思った。
気まぐれに続けてきたブログですが、今回の記事でほぼ画像容量が一杯になりました。
ひとまず『大きな楡のテーブル』は終了します。
こういった身辺雑記風ではなく、なにかべつの形で発信できるものはないかと
考えています。
長い間、おつき合い下さいましてありがとうございました!
ps
記事はしばらくこのままにしますが、
スパムが入り込むのでコメント欄は削除します。
みなさまのせっかくのコメントを勝手に削除することになりますが、どうかご了解ください。
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最後の自由研究③
http://northend.exblog.jp/12136240/
2009-08-15T22:06:15+09:00
2009-08-15T22:06:18+09:00
2009-08-15T22:06:18+09:00
northend
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山に登り始めて最初に泊まった山小屋は奥多摩の七ツ石だった。
これもまったくいきさつ不明で、たしかいつも大酒を飲んでいる友人と
「たまには山でも登るか」という話になって、「そうだ、酒ばかり飲んでても
しょうがない」と決まった。で、生まれてはじめて登った山が2月の雲取山だった。
当時のぼくはまったくもって独身貴族で、仕事は忙しいけど遊ぶヒマがない。
だからカネなら唸るほどあって(笑)、さっそく山道具屋に出かけて登山用具一式
買い求めた。ただしテントだけはまだ買わなかった。そういう発想がなかったのだ。
2月の雲取山は素晴らしかった。
ぼくは苺をワンパック持っていき、さらにはその苺を盛り付けるガラスの器まで
買い込んで、コンデンスミルクも買い込んで、雲取山の頂上で雪に苺を乗せて
ミルクをかけて食べた。ああいうバカげたことが楽しかったのだから、
それ以降の山もすべて遊興の世界だったと思っているが、のめりこんでしまうと
そういう他愛のないことはあまりやらなくなったがやっぱりどこかで楽しみつくす
山という考えがずっと残っていた。
七ツ石小屋のおじいちゃんは面白い人で、薪ストーブにお釜を載せてコメを炊いていた
のだけれど、そのわきにぼくらが鍋を載せて蓋を開けるたびに「5分遅くなる」と
笑っていた。早く食べたいからせっかちなぼくらがしょっちゅう、鍋の蓋を開けた
みたいだった。登山者はほかにいなくて、ぼくと友人とおじいちゃんで話し込んで
お酒もたっぷり飲んでその夜は小屋の布団でぐっすり眠った。
翌朝、おじいちゃんはストーブで沸かしたお湯でお茶をつくってくれた。
ひと口飲んで、?と思った。おじいちゃんはニコニコしながら、
「何のお茶だかわかるか」と訊いてきた。「山小屋のまわりにいくらでもあるよ」と
いうのだが、ぼくにはさっぱり見当がつかなくて降参したら「熊笹だよ」と言われた。
ぼくらはガクっときて飯ごうでご飯を炊いて納豆飯をつくってかき込んで雲取山に
登った。あのおじいちゃんとはその数年後も一度泊まりにいって話したがちゃんと
覚えていてくれたなあ。
で、岩手山に戻ろう(笑)
先に着いた次男は平笠小屋の前でポツンと待っていた。その姿が寂しそうにも
見えたので「ああ、悪いことしたな」と思ったがじつは腹が減っていただけだった。
8個のおにぎりも2本残っているソーセージも飴もお茶もすべて、
ぼくのザックに入っていたからだ。
平笠小屋はこじんまりしていて、屏風尾根から延びる岩山と頂上の鞍部にあるせいか
風も当たらなくてとてもいい感じだった。
管理人はいないし水場もないが、トイレはきれいだったし室内も片付いていたから
ちゃんと管理している人がいるのだろう。室内は10畳ほど広さだが階段があって
ロフトがついていてシュラフ持参で泊まるには快適そうな小屋だった。
次男と小屋の前の空き地に座り込んでまず腹ごしらえした。
パクパクとおにぎりを食べてお茶を飲んでソーセージを食べると、
「昼前なんだから頂上に登ろう」という気になってしまう。
頂上はガスのなかだがときおり風で流れて稜線が見える。
まだずいぶん高いのだが、次男の足ならたちまち駆け上るだろうしこっちはヨタヨタと
ついていけばいい。二人で六つおにぎりを食べ、残りのソーセージも食べて、
11時40分に歩き出した。
岩手山は正面のコースから登ると大きな山小屋があって、そこから少し歩くと
お鉢の裾につくからほんとうにひと登りで稜線に出るししかも周囲の見通しが利く。
ところが平笠小屋からだと霧に包まれていたせいもあるが、岩手山が視界を塞ぎ
過ぎるのだ。あの高みが頂上だとわかっていても、ただのコブだったらどうしようか
とか余計なことを考えるのは疲れていたからだろうなあ。
でも黙々と登った。途中でだんだん調子が出てきた。
ジグザグに切られた登山道は正面コースほど砂が深くなくて歩きやすいし、
またコマクサが出てきたからだ。さっき見た群落より数は少ないが、
花にまだ勢いがあってきれいだ。
このコース、ときおり降りてくる人はいるがあまり登山者はいない。
でもしばらく登って上を見たら、稜線を横切っていくだけの人がいる。
ああ、やっぱり頂上間近だなと思ったら先に登っていった次男が「出たよ」と叫んだ。
追いついたらそこがお鉢めぐりの稜線で、頂上はほんの目の前にあった。
左端がおにぎり4個食べて元気な次男。
もう登頂間近だ(笑)
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最後の自由研究②
http://northend.exblog.jp/12130242/
2009-08-14T20:43:39+09:00
2009-08-14T20:43:37+09:00
2009-08-14T20:43:37+09:00
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はじめてコマクサを見たのはたしか北アルプスの常念岳だった。
この山は安曇野から眺めると端正なピラミッドで姿のとても美しい山だが、
何がきっかけだったか残雪期に烏川の支流を詰め登って最後は雪崩に覆われた渓から
追い返されたことがある。たしか男3人で出かけたのだ。
同じ年の夏に夫婦二組、独身男二人、小学生一人というメンバーでやっぱり烏川から
登るコースを選んで常念小屋の裏にテントを張り、翌日は小雨の中を傘を差して
頂上に登った記憶がある。遠くが見えなかったぶん、
足もとのガレ場に咲いているコマクサと雷鳥はよく覚えている。
といっても、コマクサの周りには小石が積んであって、いかにも貴重な高山植物という
印象だったから数は少なかったのだろう。
それ以外、コマクサに出遭った記憶はない。ひところずいぶん山には登ったが、
夏のシーズンには沢や岩尾根ばかり歩いていたし、混雑が嫌いで奥秩父の人けのない
山に登ることが多かったような気がする。
そのコマクサが焼走りコースに多いことは知っていたが、
時期が遅いし咲いているとしてももっと頂上に近い場所だろうと思っていた。
ところが第一噴火口を過ぎて間もなく始まった長い砂地の直線の登りは、
コマクサのお花畑を横切るコースだったのだ。
頂上方向を見上げても、ふもとを見下ろしても、ピンクのコマクサがあちこちにある。
もちろん盛りは過ぎていて、花を落として茎だけが立っている株が多いのだが、
ほんの1割の花が残っていたとしても見渡すかぎりコマクサの群れなのだ。
コマクサの葉は薄緑で根元にコケのように広がっているのだが、
その薄緑の葉なら斜面にいくらでも散らばっていて、「ああ、これが満開のころなら
きれいだったろうなあ」と少し悔しくなった。
両腕にストックを握ったおじいさんが、息を整えながら立ち止まっていて、
追いついたので「残念でしたねえ、7月半ばだったらきれいだったでしょうね」と
声をかけると、そのおじいさんは泣き出しそうな顔をしてこんなことを言った。
「コマクサが見たくて登ってきたのに。7月は雨ばかりでとうとう来れなくて、
ああ、もっと早く登りたかった。もう引き返そうかと思ってます」
訛りのないきれいなことばだったので、もしかして遠くから来たのかもしれない。
ぼくは近所だし子どもの自由研究の手伝いだから気楽なものだが、
わざわざ遠出しても見たいほどこのコースのコマクサは見事なんだろうなと思った。
長い長い砂地の直線を登りつめると、やがてツルハシという標識のある場所に出た。
もう一つの登山道がここで合流している。だらしないことにぼくは地図も持参して
来なかったので、ここから目指す避難小屋までどれくらい歩くのかもわからない。
それでも歩き出してまだ30分も経っていないような気がして、
次男には「あと30分歩いて休もう」と声をかけると元気な少年は木の根が出ている
急な山道を先に立ってどんどん登り始めた。
次男の後ろ姿を撮ってカメラをポケットに収めるともうその姿は消えている。
声は届くだろうと思って「おーい、とにかく小屋に着いたら休んでいろ」と
叫ぶと「オッケー」と張り切った返事。あいつは人生まだ一回りだ。
おいらは5周もしている。少年よ、大志を抱けなどとブツブツ言いながら
よたよたと後を追いかけた。
コマクサがあったんだからもう森林帯は終わりだろうと思ったらとんでもなくて、
ここからの登りはきつかった。ダケカンバやナナカマドの樹林帯だが段差の大きい
岩や木の根を乗り越えて道は延びていく。
それでも道の両脇には山の花がいくつも咲いている。
花の名前は思い出せないのが多いが、カニコウモリ、サンカヨウ、クルマユリは
わかった。丈が伸び過ぎて最初は「はてな」と思ったが、二粒実の入ったような
タネがあるのはシラネアオイだろう。そう気がついて見れば、
このコースはシラネアオイが道の両側にびっしりと並んでいるのだ。これも
花のある時期なら見事だったろうなと思う。
ときおり下山の人とすれ違う。
「子どもと会いませんでしたか」と聞くと「会いましたよ。駆け登っていきました」と
笑われた。心配するなら子どもより自分だな気がついてこっちも苦笑いしてしまう。
結局、6合目の平笠小屋に着いたのが11時15分。
腕時計は次男がつけていて、ぼくを見ると「25分待ったよ」と言う。
ということは、こいつは休んだ噴火口から小屋までほんとうに1時間で登ったのか。
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最後の自由研究①
http://northend.exblog.jp/12125527/
2009-08-13T22:39:09+09:00
2009-08-13T22:39:12+09:00
2009-08-13T22:39:12+09:00
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夏休みもいよいよ大詰めで、いつものことだが小学生の自由研究のお手伝い。
次男も来年は中学だから、これが最後だな。
わが家の場合、子の自由研究はほとんどが親の趣味の延長になる。
たとえば豆腐を作って食べたり、粘土で器を作って野焼きしたり、
スズメバチの巣を丸ごと持ち込んだり、
蔓植物の右巻き、左巻きを調べたり、
毎年あの手この手を考えて親も興味があったり自分の調べてみたいテーマを選ぶ。
去年の夏はたしか、久しぶりに山に登りたいというのでかみさんが子どもと
一緒に早池峰に登って高山植物の写真を撮ってきた。
コースを描いてプリントした写真を貼って短い感想をつけておしまい。
これだって実地がまる一日、制作がさらに一日だから立派なもんだ。
今年はどうするか考えて、天気が悪くて泊りがけの岩手山縦走ができなくなったので、
では溶岩の研究をしようということでぼくが手を貸すことにした。
焼走りの溶岩流を見学して、ついでに焼走りコースを登ってくるという、
まあ、親の興味優先、子の得意分野というやつで、
空模様を眺めながら昨日、実行した。
最初から頂上に登るつもりなら朝は早いほうがいいのだが、
このあたりに微妙な心理があって、なにせこっちは運動不足で体力、脚力には
不安がある。天気も午後からは崩れて夕方には雨の予報だった。
あんまり意気込むこともないんじゃないかなと思いつつ、それでも少し早起きして、
朝ご飯食べておにぎりたくさんつくってもらって7時ちょっと過ぎに家を出た。
途中、道に迷って遠回りしてしまい、駐車場に着いたら8時近かった。
見上げれば頂上はずいぶん遠いし高いのだ。気持ちが引いているときの山は
だいたい大きく見えてしまう。
焼走りの溶岩流ははじめて見たけど圧巻だった。
焦げ茶のゴツゴツした溶岩が裾野を一面に埋め尽くしている。
一木一草見当たらない荒涼とした眺めだが、これが生まれたばかりの大地かと思えば
不思議な気がしてくる。観察路は横切るように延びていたが、
それをそのまま歩いてしまえば登山道から離れるので途中で引き返す。
「とにかく登ってみるか」と登山者カードを記入して歩き始めたのが8時30分。
コースガイドではたしか1時間半ほども登れば噴火口の跡があって、
そこからの眺めは気分いいらしい。溶岩流がふもと目指して流れ落ちた様子も
わかるだろうし、あとは小さな石を拾って模造紙に絵を描いて、もっともらしい
感想を書けばいいのではないか。
そう思っていたが、何せ次男は足が速い。山登りはとくに元気になる。
遅い出発だったから登山者はもうずいぶん上のほうにいるのだろうと思ったら、
家族連れのグループに追いつき、おじいさんの単独に追いつき、
1時間ほどで目指す第二噴火口に着いてしまった。
登山道から少し外れているので静かでゆっくり休めた。
足もとにはさっき見た溶岩流があって、
噴火口らしく大きな窪みもある。
遠くに目をやれば八幡平から七時雨山、姫神、そのふもとの集落がみんな
静かな緑のなかにある。
ここでゆっくりお茶を飲んだり、山にはかならず持っていく魚肉ソーセージを
二人で一本ずつ食べた。
ぼくが次男と山登りするのは久しぶりだ。たしか5年前の1年生のときに家族で
岩手山に正面の柳沢から往復した。あのときだって次男にはついていけなくて、
途中で何度も待ちぼうけさせてしまったが、最近はこいつも喘息の発作が短い間隔で
起きていて昔のようには頑張れないだろうと思っていた。
サッカーの練習や試合にはちゃんと出ている。つい数日前も沿岸の町で合宿があって、
走り回った後で海にも入ったらしく、大部屋で遅くまで仲間と遊んで寝不足だったのか
帰ってきたら頬がこけていたので驚いた。だからまあ、今日は本人も慎重に行くだろう
と思ったが山は山で違う体力が湧いてくるらしい。
だからいたって元気で朗らかだ。
喘息というのもよくわからない病気で、季節の変わり目が油断できない。
梅雨時の寒さとか秋の長雨の時期は症状が出やすくなる。これは気温と気圧も関係が
あるみたいで、低気圧にはとにかく敏感に反応する。
だとすれば、山登りなんて低気圧のなかに入っていくようなものだし、まして
天気は下り坂とわかっているときに無理させていいんだろうかと考えていたら
「お父さん、行こうよ」という。9時50分に出発。
頂上を見上げればまだまだ遥かな高みなのだが、
「行こうよ」というのは登ろうよということで、とにかく頂上下には避難小屋があるから
そこまでは登るかと腹を決め、次男先頭でまた歩き出した。
間もなく第一噴火口跡で、そこには数人の登山者が休んでいた。
砂礫の大地でここも眺めが良さそうだがとにかく進む。
ぼくはコースがよくわからないが小屋までは1時間も
歩けば着くのだろうと思っていたから、「次の休憩は1時間後だな」とだけ次男に
言って山腹を斜めに登っていくと一直線の道に入った。
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ゆるむ時間
http://northend.exblog.jp/12083985/
2009-08-06T21:35:05+09:00
2009-08-06T21:34:36+09:00
2009-08-06T21:34:36+09:00
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1週間くらい前から右目の下まぶたが腫れてきて、
こっちのことばでいうと「えんずぐなった」。
そうだ、「えんず」というのは「いんず」と「えんず」の中間で
「いぇんず」とも「YENZ」とも発音するのだがこの語感を標準語で的確に
表すことばがない。「痒い」でもないし「くすぐったい」でもないし、
「窮屈」でもないしあえていえば「気に障る」とか「やりずらい」だろうか、
それもちょっと違うような気がする。手元の方言辞典に「えずい」は「窮屈」と
あるがこういう辞典は一語に強引に一語を当てはめるから解釈としてはどこか
「えんずい」から嫌いだ。
まぶたが腫れたのはたぶん目の疲労で充血して化膿したからだが、
そういうのを子どものころにぼくは「バカ」と呼んでいた。
「目さバガできだ」というのは「目にものもらいができた」という意味で、
なんで「バカ」と呼んだのかいま考えてもわからないがあのころはバカでわかった。
そういえばいまの子どもたちはみんな目がきれいだ、
切れ長で白目の濁りもなくてスッとしている。これはいつも感心するのだ。
昔の子どもは目くそ、目やに、ただれ目、バカ、トラコーマ、ガンケツエン、
濾胞性結膜炎なんてのもあってぼくは年中、眼科に通っていたから
こういう病名には詳しくてまぶたをひっくり返してごみを舐めてやるなんて友だちとよく
やっていたからかなり不衛生だったのかもしれない。
ところでバカにつける薬はちゃんと専用の目薬があって春に上の子がやっぱり
バカになってそのとき薬局で買った薬があったので日に3回点眼してたら
やっと治ってきた。いまはもう「えんずくない」。バカに効く薬はある(笑)
ところがうちの薬箱にはもう一つ目薬が入っていてこれは次男が使っている。
次男はバカではなくて(もちろん誤解のないようにいえば長男もバカではないのだが
いまは目の話だから)ドライアイ。
これがよくわからなくて眼科医は注意してくださいという。
子どものドライアイはゲームのやりすぎで起こることが多いらしいが
次男の場合は原因がはっきりしていてとにかく目を閉じないのだ。
自分が話すときも人の話を聞くときも、テレビを観るときも本を読むときも、
それから次男はギターを習っているが楽譜を見つめる間も瞬き一つしない。
眼科医に言われて次男の横顔をときどき眺めてみるがほんとうに瞬きをしない。
「パチパチしなさい」とまるで保育園の子に言うようなことを言って親は喜んでいる
のだが眼科医は「いまのうちにちゃんと治さないと大人になって大変ですよ」と
真顔で心配してくれる。ぼくは次男に「テレビは心で観ろ」とか「授業は目を閉じて
聞け」とムリなことばかり言うがこれも一応、緊張感を解くためだと思っている。
次男にはどこか、憑かれやすい性格があってそういえば五歳のころに何かが見えて
かなり不安定になったことがある。
子どもたちの夏休みも半分は終わったのか。
今日まで仕事に追われていたから一切相手はできなかったが、
明日からはそうもいかない。ちゃんと決めていた予定がいくつかあって、
それはきちんと実行したい。上の子も受験生だからそんなにのんびり
できないみたいだが、まあ、ゆるむ時間も必要でしょう。
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古杉
http://northend.exblog.jp/12060310/
2009-08-02T20:38:25+09:00
2009-08-02T20:38:22+09:00
2009-08-02T20:38:22+09:00
northend
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この一ヶ月、まったく休みなしの状態だったから今朝は発作的に山に帰った。
日曜日は道路が空いているから8時過ぎに家を出ても10時にはもう山だ。
涼しいかと思ったらとんでもない暑くて、予定した草刈りの前に
敷布団を出して縁側に干す。並べきれない布団は日の当たる部屋に
広げる。今年は雨が多くて、それもどしゃ降りの雨続きだったから
すっかり湿っぽくなっていたのでまず一安心だな。
それから草刈りを始めたが何せ暑い。
日帰りだからビールも飲めないとわかっているのでテキトーに終わらせる。
思ったほど伸びていないのだ。
敷地の周辺の草地も牧場の機械が入ったみたいで草はきれいに刈られ、
青々とした広がりが気持ちいい。
暑い暑いといったところで窓を開け放てば山の風が吹きぬけていく。
1時間、昼寝。
帰りがけに久しぶりに神社に寄る。
例大祭は終わったばかりだから、日曜日といっても人の姿は見えない。
ここはもともとシンとした森だが、夕暮れのころに境内を歩くと
自分の血のなかに山の精気が染み込むような気がする。
わたしの血はずいぶんよごれ、くたびれ果てているのだろうが、
本殿に詣でて清水を一口ふくむと背筋が伸びるのだ。
村の出口の自販機で冷たいお茶を買っていたら雑貨屋のおばあちゃんが
声をかけてきた。「来てたのか」という。
「雨続きだったから家の空気を入れ替えてきた。草はあんまり伸びてないから
よかった」といったら、
「までにかればおえなぐなる」といわれた。
「まめに刈っていると伸びてこなくなる」という意味。
「そういうもんだべか」といったら「そういうもんだ」と笑われた。
そういうものかもしれない。
年寄りはときどき、暮らしのなかの些事に人生の深い意味を見いだす。
むずかしいことは言わずに、こちらが見通せない人生を飄々と教えてくれる。
まるで栗の皮でも剥くように。
ぼくは先月、還暦を迎えた。
まだたっぷりと俗事に身を置いている。
見通せない人生があとどれくらい続くのかもわからない。
雑貨屋のおばあちゃんが教えてくれたことはただ一つ。
いまはきちんとやれ、あとで楽になるから。
信じるしかないなあ(笑)
古杉の切り株。
死んでも尖がっている。
こういうの、好きだ。
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山なみ
http://northend.exblog.jp/11968728/
2009-07-18T23:05:40+09:00
2009-07-18T23:05:42+09:00
2009-07-18T23:05:42+09:00
northend
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早坂峠は新しいトンネルができたのでわざわざ通り抜ける人はあまりいないだろう。
そう思って昨日、安家の帰りにまだ時間があったので旧道を通ってみた。
一台の車ともすれ違わないし、峠にはレストハウスがあってちゃんと営業していたが、
広い駐車場にはたった一台、車が止めてあるだけ。
昨日は朝からずっと深い谷に沿って走り、目をさえぎる岩壁に囲まれ、
どの山並みも覆い被さるように迫る風景の中にいたから、
空がどーんと広がる場所に出たら気分が解き放たれてそれで案内板に従って
高原の細道に入り込んでみた。
道は白樺、岳樺の森をクネクネと伸びていくのだが、
まったく突然に視界が開けた。なだらかな放牧地が広がり、大きな風車が並ぶ
なんともあっけらかんとした眺めのなかに出たからだ。
軽トラに乗っていると、ドンキホーテになった気分だ(笑)
あ、画像はもうすぐ限度だからやけくそにでかくしてあります。
あちこちに牛の群れがいる。飼い主なのか当番なのか、
その群れをじっと眺めているおじいちゃんがいる。
尾根に拓かれた一本道。そこをゆっくり走るのは爽快だ。
道端にハマナスが咲いている。いったい誰がどういうつもりで植えたのかわからない。
風はひんやりとして気持ちいい。風車もゆるゆるとしか回っていない。
東も西も山しか見えない。天気はクルクル変わるが、どの山も稜線は穏やかで、
ついさっきまで走り回っていた深い谷沿いの暮らしが同じ風景の底にあるのだとは
とても思えない。でもあるのだ。見てきたばかりなんだ。
東方向の眺め。右手の双耳峰は穴目ガ岳だろうか。
西方向。遠くの尖がりは姫神だろうか。
陽の落ちるころまで過ごせたら、壮大なものが見えそうな気がした。
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また緑
http://northend.exblog.jp/11866366/
2009-07-02T16:32:38+09:00
2009-07-02T16:32:37+09:00
2009-07-02T16:32:37+09:00
northend
未分類
夕べは久しぶりに山に一泊。
近ごろ毎週のように出かけていたが、いつも日帰りだった。
ちょうど天気も悪そうだし(外仕事しなくて済む)、泊まってゆっくりしたくなった。
そしたら昨日は意外にいい天気で、結局、裏の藪を刈り払ったり薪をつくったり、
水源の掃除をしたりでなんだかんだと夕方まで動いてしまった。
葉の色が濃くなったといっても、まだ出遅れた若葉も混じっている。
それでも山の家は木立に囲まれてしまい、夏のなかに埋もれようとしている。
庭に立って空を見上げれば緑
振り向けば、また緑]]>
清水川
http://northend.exblog.jp/11823357/
2009-06-25T22:50:00+09:00
2009-06-25T23:00:24+09:00
2009-06-25T22:50:26+09:00
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岩泉に行ってきた。
昨日は山の家に日帰りし、今日は岩泉に日帰り。
二日続けて緑濃い北上山系の懐に分け入ったことになるのか。
それにしてもニュータウンから岩泉は近い。
岩洞湖までは何度か行ったことがあるが、
そこから間もなく薮川で、薮川過ぎれば程なくできたばかりの早坂トンネルで、
トンネルを抜ければ小国川に沿って道は下り、30分ほどで岩泉の町に入る。
国道から右に入る道があって、そこが岩泉の旧商店街になる。
うれいら通り商店街と名づけられていて、歩道と車道を区分する縁石を取り払って
通り全体を石畳のような舗装にしたので歩いてみると気持ちいい。車は歩行者に
注意しなければいけないからみなゆっくり走り、人はのんびり歩ける。
古い造り酒屋の白壁、木造の洋館、地元の人がサンダル履きで買い物している
スーパー、お茶屋、酒屋、家具屋、和菓子屋、薬局、米穀店、旅館なんかが並び、
どの建物も落ち着いている。
その商店街の裏には龍泉洞の水がそのまま川となって流れる清水川がある。
しずがわと呼ぶらしい。川に沿って両側に石畳の歩道が延びていて、
道路から階段で下りれるようになっている。ほんの100メートルほどの区間に
いくつも小さな橋があって、この町の人は朝に夕に川を眺めているのだなと思った。
清水川は澄んだ流れで、はて、こんな景色の町並みはどこかで見たなと考え、
ああ、これでもっと水量が多くて川が太ければ郡上八幡に似ているかなと思った。
そして町のどこからでも、目を上げれば宇霊羅山がある。こういう、岩壁の迫る町と
いうのは住む人に抗いようのないものの存在を教えてくれるのだろうか。
岩泉を訪ねたのはT先生に会うためだった。
民話の採集家としてすでに何冊も本を出しているT先生の名前は以前から知っていたが、
二月ほど前にひょんなきっかけから私家版のような形で出した著書と出合い、
それ以来、電話やはがきで何度がやり取りがあって、とにかく一度会ってみなくちゃと
思って面会の約束をしたのだ。
T先生のご自宅もこの商店街に面している。家業はさっき並べた店のどれかだ(笑)。
10時の約束だったので清水川のほとりを散歩してピタリの時間にその店に入ると、
すぐ目の前の椅子にちょこんと座っていた着物姿の先生が笑顔で迎えてくれた。
それから店の奥の仏壇の飾ってある板の間に案内され、
そこで昼までお話を伺った。先生は足が少し不自由のご様子だったが、
台所でお茶を用意してくださり、ブルベリーの実をシャーベットにした素敵な
氷菓子をご馳走をしてくれた。
ぼくがT先生に会ったのは、ある染め織の話を聞きたかったからだ。
それは先生が20年かけて聞き取りし、追い求めた染め織で、
間違いなく存在した証拠として江戸時代の見本織も残っているのだが、
たった一枚の着物、反物すらいまに伝えられてはいない。
戦後間もない時期に、どうやら最後の染め織が作られたことまではわかっているが、
それも姿は確認されていない。
それどころか、この技法の難しい、しかも限られた人間にしか伝わっていないと思われて
いる染め織が、先生の調べたようなかたちで残されていたという事実でさえ疑問視された
時期もあったという。
80歳を過ぎた先生は、終始、穏やかで、朗らかで、けれども明晰だった。
ぼくがあれこれ想像を膨らましてしゃべると、
仮説や想像をまじえないで「あったこと」を「あったこと」として書き残すのが
わたしの仕事でしたと答えてくれた。
それはぼくを諭すのではなく、自分のやり方を説明してくれただけなのだが、
数十年、揺るがずに追い続けた世界を持つ人間の真っ直ぐな姿勢が伝わってきた。
2時間ほどお話を伺った。先生も少しお疲れの様子が見えたので辞した。
足が不自由にもかかわらずお店の玄関を出て見送っていただいた。
帰りがけにまた清水川に沿った道を歩き、
夏の強い日差しに照りかえる川面をしばらく眺めた。
地の底から湧いてきた水がこうして町裏を流れ、涼しさを運んでいる。
清水川を眺めていたら水羊羹が食べたくなったけど、
岩泉土産は商店街の中松屋の「くるみもなか」と「くり饅頭」にした(笑)
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緑
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2009-06-17T18:10:38+09:00
2009-06-17T18:10:42+09:00
2009-06-17T18:10:42+09:00
northend
未分類
今日は山に往復。
先月から、日帰りでちょくちょく山に帰るようにしている。
泊まってゆっくりしたいけど、そうするとなかなか日にちが取れない。
なにせいまはちょうど一家揃って忙しい時期で、
ぼくがヒマになったからといってのんびりするわけにもいかない。
日帰りといっても朝7時にニュータウンを出れば通勤の渋滞にも引っかからず
9時にはもう山に着いている。
すると午前中の3時間でだいたい予定した作業は終える。
そうやって少しずつ家の周辺をきれいにしておけば、
時間ができて泊りがけで帰ったときに気持ちいい。
たまにしか帰らないといくら泊りがけでもやることばかりでのんびりできないのだ。
先週はかみさんが一人で帰って夏椿を二株移植した。
実生で育てていたのがずいぶん大きくなったので、
狭い借家の庭から広々した山の家の庭に放したようなもんだ。
これでまた、山の庭は雑木林化が進むことになる(笑)
カッコー、ホトトギス、ウグイス、蛙、エゾハルゼミなんかが声を張り上げていて、
山はいまにぎやかだ。
峠道はツルアジサイが咲き始めた。緑が濃くなってきたので、
今日みたいに雨が降ったり青空が広がったりの天気のときは、
その緑にツルアジサイの白い花がくっきりと浮かんできれいだ。
今年は庭の朴ノ木が花をたくさんつけた。
これも10年くらい前に山から掘りだして移した木だけど、
ヒョロヒョロしているから草刈りのときに何度か幹を傷つけてしまい、
そのたびにダメかなと思ったのがずいぶん大きくなって花をつけた。
その花のきれいなときをぼくは見逃してしまってすごく悔しいのだが、
今日見たら、まだ蕾が一つ残っていた。
来週は咲きそうだ。
来週も帰る理由ができた。]]>
円陣
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2009-06-13T23:05:00+09:00
2009-06-13T23:07:50+09:00
2009-06-13T23:05:52+09:00
northend
未分類
いよいよ子どもたちのシーズンが始まった。
今日はその先陣で、次男のジュニアサッカーの県大会。
市内のリーグはなんとか勝ち残れた。
県大会で勝ち抜くためにはまず一次予選のリーグ戦を
上位通過して決勝トーナメントに進まなければいけない。
その最初の対戦相手が、市内のリーグを一位で通過したクラブチームのジュニアだった。
ぼくは「勝て」としか言わない。相手が強いって言ったって、同じ学年じゃないか。
おまえたちだって朝練、夕練を繰り返して強くなってきたじゃないか。
そう言ったのだけれど、次男は「負けるなんて思ってないよ」と答えた。
それで開始時間に合わせて応援に駆けつけた。
1-0で勝った。この子たち、いつの間にこんなに強くなったんだ。
指導者に感謝するしかない。
試合が終わって次男と車で帰るときに、こんなことを言われた。
「ここでラグビーの試合を何度も観たね。同じグラウンドでサッカーできて
オレは嬉しかった」
そうだったなあ。日本選手権7連覇のあのチームの試合は、
毎年1月15日の国立競技場で大漁旗を打ち振りながら、同窓会も兼ねながら、
欠かさずに観ていたが、あれこれあってチームが出直してもずっと応援してきた。
子どもたちと盛岡のこのグラウンドで何度も応援したことがある。
次男はそれを覚えていて、自分を重ね合わせたらしい。
だったらこのまま勝てよ。
優勝して全国大会に行け!
オレって単純だなあ(笑)
試合前に円陣を組む子どもたち。
かつて、紅いジャージの男たちもこうして勝ち進んだ。
どこまでも!
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藤
http://northend.exblog.jp/11690164/
2009-06-05T21:53:32+09:00
2009-06-05T21:53:26+09:00
2009-06-05T21:53:26+09:00
northend
未分類
川沿いの道を走っていたら向こう岸に藤が咲いていた。
身震いするような妖しさ。
かつてはこの季節、
渓を歩くだけで完ぺきに幸福だった。
釣竿を手に流れを見つめるだけだったが、
ほんとうは藤に誘い込まれていたのかもしれない。
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紡がれた
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2009-05-28T21:49:00+09:00
2009-05-28T23:19:08+09:00
2009-05-28T21:49:36+09:00
northend
未分類
ばあさんが
はた道具を片づけながら
「このはた道具も
いつか
たきつけに
なるべぇなあ」と
さびしそうにいっていた
その日 おばあさんは
「いらない」といって
いろりに
はた道具を もやした
(詩集MANAGU「童眼」三上信夫編纂・リヴァープレス社)より抜粋
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お代わり
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2009-05-26T21:29:00+09:00
2009-05-26T21:32:01+09:00
2009-05-26T21:29:55+09:00
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昨日は運動会の代休で長男が家にいたので、
久しぶりに蕎麦を食べてきた。
寺町のその店はなかなか美味しいしボリュームもある。
席に着くなり長男は「ここ、いいね」という。
「メニューが冷たい蕎麦と温かい蕎麦しかない。迷わなくて済む」
まったくその通りで長男はどこに入ってもメニューに迷う。
ここなら「冷たい蕎麦」の一声でおしまい。
もり蕎麦の量はふつうの店の「大もり」ぐらいはある。
いや、もっとあるか。
身欠きにしんと黒豆と漬物がセットでついて800円。
大根おろしのたっぷり入った蕎麦つゆが涼味を引き立てる。
でもこの店の嬉しいところは、蕎麦だけ「お代わり」が頼める。
おんなじ量の「もり」が200円。二人で一枚頼むと腹いっぱいになる。
早い時間だったので店内には空席があって、
通りに面した座敷には2、3歳くらいの子どもとお母さんが座っていた。
お母さんは冷たい蕎麦を子どもと一緒に食べたあとで「お代わり」を注文し、
それを子どもと替わりばんこに食べていた。
寺町の静かな通りには初夏の風。
しかしだ。
目の前にはもう一枚「お代わり」を頼みたそうな顔つきの長男がいた(笑)
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