こういう人間です
盛岡市在住。ライター。
性格偏屈。趣味はないが嫌いなものはない。 20年余りの都会暮らし、 10年余りの山暮らしを 経て現在6年目のニュー タウン暮らし。 いまいるところがいつも いちばん好きなところ。 メールはこちらへどうぞ 以前の記事
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昨日、池谷准教授から最新刊を贈っていただいた。 サイン入り、ありがとうございます(笑) 『単純な脳、複雑な「私」』というタイトルの本だが、 400ページ余りもあってじっくり読むにはまとまった時間が欲しいなと思いつつ、 ページをめくりだすともう止まらない。近ごろ脳科学の本もあまり読んでいなくて、 第一線の研究者のスリリングな思考やデータに猛烈に刺激されてしまった。 いずれ、この本を手がかりにしながら考えてみたいことはあるのだが、 今晩は一つだけ紹介してみたい部分がある。 「完璧なアンドロイドを人間と区別する理由はあるか?」と題された項目だ。 池谷准教授の論旨を簡単に説明しよう。 もしあなたが科学者で、人間にどこまでも近いアンドロイドを完成させたとする。 ことばも話せるからコミュニケーションもできる。外見は人間とまったく同じだ。 そのアンドロイドに、かりに「アトム」という名前をつけ、 あなたは友人に紹介したとする。 その友人はアトムを人間と思い込んでいる。 仲良しになり、その1年後に、友人は死んでしまう。 最後までアトムを人間と思い込んだままで。 そこで池谷准教授は問いかける。 さて、アトムは人間でしょうか、アンドロイドでしょうか? この質問はものすごく複雑な問題を抱え込んでいる。 まさに本のタイトルの通りなのだ。 亡くなった友人はアトムを人間と思い込んでいる。 あなたはアンドロイドとわかり切っている。 でも、あなたの判断が正しくて、友人の判断が間違っているという理由はどこに あるのだろうか? 池谷准教授は、そこに「差別」の根源的な問題を見据えている。 ‐そのアンドロイドを「人間」と呼ぶことに躊躇や違和感を覚えてしまうのは、 もはや、僕らの「心」の問題でしかない‐
by northend
| 2009-05-12 23:16
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