こういう人間です
盛岡市在住。ライター。
性格偏屈。趣味はないが嫌いなものはない。 20年余りの都会暮らし、 10年余りの山暮らしを 経て現在6年目のニュー タウン暮らし。 いまいるところがいつも いちばん好きなところ。 メールはこちらへどうぞ 以前の記事
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
「朝、起きたら何をするんですか」と長衛さんに訊ねたことがある。 バカみたいな質問だが、長衛さんはしばらく考えて、 「顔を洗う」と答えてくれた。 「昼まで何をしてるんですか」と訊ねたら「何もしない」と答えてくれた。 ぼくは禅問答を好む人間ではないが、人によって、その人の顔つきとか 仕草とか動作、しゃべるときのテンポ、もっとはっきり言うと好きな人間に 対してはときどき禅問答になってしまう。あたりの空気を丸めてポッと 吐き出すとその人も同じことをしてくれて、いい気持ちになるときがある。 長衛さんと差し向かいで焼酎を飲んだのは2,3回しかなくて、 あとは土間の上がり口に腰かけてお茶を頂いたり、家の前の川を眺めながら 「いるね」「ああ、いるな」と魚を目で追うだけだったが、 そんな短いやり取りがどれほど楽しかったか、なかなかわかってもらえないと思う。 長衛さんは足が弱っていた。 車は持ってないし自転車にも乗らなかった。 食糧や大好きな焼酎は村の雑貨屋から運んでもらっていた。 でも薪ストーブでご飯を炊き、汁をつくり、簡単な煮物や漬物を卓袱台に並べ、 食事が済むとゆるゆると焼酎を飲むのだった。ぼくの習慣は空きっ腹に酒で、 これなんか長衛さんに比べるとガサツなものだ。 だからぼくが長衛さんを訪ねて焼酎をご馳走になったのは、いつも晩ご飯の 終わったころだった。空にはまだ明るさが残っていたのだ。 長衛さんは人づき合いをほとんどしなかったが、人嫌いではなかった。 暖かな季節は玄関の戸をいつも開いていたのだから、閉じこもって暮らす人では なかった。ただし、長衛さんの家には何か踏み込みにくいものがあった。 この人は他人を必要としていない。そう思わせるものがあった。 配り物の当番は2年交替で、ぼくは当番が終わると長衛さんの家を通り過ぎる だけになった。ふらりと訪ねる気はしなかった。でも道すがらだから、 顔を合わせたりときには並んで川を眺めることもあった。 あるとき、長衛さんの家の前に真新しい乗用車が停めてあり、 その何日か後に長衛さんはいなくなった。玄関はいつも閉め切りになり、 見事な菖蒲が咲いた庭は荒れ始め、家の周りの雑草が丈高く伸び始めた。 その様子を車で通り過ぎるたびに眺めなければいけなかった。 自分が暮らすためには、たくさんのことを継続しなければいけない。 それを長衛さんに当てはめると、まず鎌や鉈を研ぐことだった。 ストーブや風呂のために裏山から薪を切り出し、積み重ねて置くことだった。 古い家のあちこちを普請することだった。清水で米を研ぎ、 ありあわせの菜で汁を作り、湯を絶えず湧かし続け、身の周りを整え、 いつ誰が訪ねてきても恥ずかしくないように暮らすことだった。 そのことを長衛さんは淡々とこなしていた。 長衛さんの一日は、70歳を過ぎた一人の男が過ごすのに長くも短くもない 完ぺきな一日だった。 暮らす技術とは、そういうものかなといま思っている。 長衛さんはそれから2年ほどして、町の病院で亡くなった。 葬式は斎場で済ませ、家はいま朽ち果てかけている。 でも、初夏のころに通り過ぎると濃い青色の菖蒲が立ち上がっている。
by northend
| 2007-04-20 22:36
|
ファン申請 |
||