こういう人間です
盛岡市在住。ライター。
性格偏屈。趣味はないが嫌いなものはない。 20年余りの都会暮らし、 10年余りの山暮らしを 経て現在6年目のニュー タウン暮らし。 いまいるところがいつも いちばん好きなところ。 メールはこちらへどうぞ 以前の記事
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橋を渡るとき、人は胸を張って前を見つめなければいけない。 向こう岸には待っているものがあり、それが何なのかわからないとしても、 橋を渡ることはすでに決心であったり運命であったり、ときには諦めで あったりするからだ。橋に一歩踏み出したら逡巡してはいけない、そういう ものだということはわかっていたがぼくには逡巡せざるを得ない理由が あった。橋の向こうに待っているものは何もないからだ。 これはずっと考えていたことだった。渡るのはいい、でも渡ってどうする、 そのまま歩き続けるのか、戻るのか、そもそも橋を渡りきる必要が あるのか、永代橋の真ん中で立ち止まり、そこで引き返してもいいんじゃ ないか、でも引き返してそれからどうする、また永代通りを地下鉄の 駅まで戻るのか、それなら永代橋を渡り切ってそのまま歩き続け、 東京駅に向かってもいい、でもそれをやると永代橋はただの通過橋になって しまう、30数年ぶりにこの橋を渡ってみようと考えたときに、 どうすれば永代橋のいちばんいいところだけ思い出に残せるのか、 その方法を探り続けてきたのだと気がついた。答はまだ出ない。でももう、 渡らなければいけない。渡り出せば答は出るだろう。 やはり懐かしかった。 橋の歩道だけ見つめて歩き出すと変なことを思い出した。服装だ。 バイト先の運送会社は作業着を貸してくれた。グレーの木綿のジャンバー、 同じ色のズボン、ジャンバーにはオレンジ色のマークが入っていた。 そしてなんと、運送会社の名前まで突然に思い出した。 S藤運送だ、そうだ、中野に本社があって月に一度、 月給日には仕事が終わると配送トラックでそのままその本社に出向いたのだ。 人のいい元右翼の運転手と一緒に。そして夜は中野で運転手と少し飲んで 東西線で帰ったのだ。橋を眺めているときには思い出せなかったことが、 橋を渡り始めたとたんにいくつも甦ってきて慌てた。 永代橋の記憶の中で何より鮮明だったのがこの鉄骨のアーチだ。 どうだ、駆け登りたくなるでしょ(笑)、どっしりと組まれ、幅もあり、 スロープは女性的な曲線になる。同じことを考える人は多いらしくて、 駆け登らないように傾斜が始まる位置にバラ線が張ってある。このバラ線は たしか30数年前にもあった。子どものイタズラが心配だったのだろう。 ゆっくりと歩道を歩いた。 車道は上下5車線で中央線は時間帯に合わせて移動するようになっている。 このシステムというのは慣れないと怖い。 歩道はときどき自転車が追い抜いたり通り過ぎたりする。 永代通りを歩いているときから気がついていたが休日の東京は ポタリングしている人がたくさんいる。親子、夫婦、子ども同士、 一家3人4人といった組み合わせもある。休日の昼下がりだからよけいに ポタリングが目につくのかもしれないが、「なんだか口惜しいな」という 気がした。この気持ちを説明するのは難しい。橋も川もきれいになり、 河岸も明るく整備され、湾方向に目をやればタワーマンションが並び立つ。 それは絵に描いたようなTOKYOの風景なのだが、 ぼくから見ればまるで架空の街なのだ。「すごいなあ」と溜め息をつきながら その溜め息の中には困惑が混じっている。なぜ、 こんなに美しい街に生まれ変わったのだろう。なぜ、 陰は消えてしまったのだろう。永代橋は渡らないとそのとき決めた。 橋の中ほどまで来て、空色の鉄骨アーチの美しさに気がつく。 永代橋のアーチは裾野が広くて優雅だし、そのぶん立ち上る鉄骨が繊細に 組まれていて見上げると感心する。30数年前にぼくは空を見上げる余裕 なんてあっただろうか、たぶんなかった、見上げたことはあるかもしれないが 永代橋の空に青空の記憶は見事にない。 でもこの鉄骨だけは昔のままなのだろう。空がだんだん明るくなってくる。 それは気分が明るくなっているからで、渡らないと決めればもう、 ここで引き返していいのだ。 橋の真ん中で立ち止まり、湾方向の風景を眺めていたら何やら異形のものが 隅田川を上ってくる。遠目には縁日の夜店の風船みたいなのだが、 だんだん近づいてきて「ああ、これのことか」と笑った。 今回の永代橋再訪はbikkiさんのブログがきっかけだったが、 そのbikkiさんが橋の写真をたくさん撮ったのはこの船なそうだ。 橋の上から見ると、「ツンと突けば沈むんじゃないか」と心配になる。 平べったい風船が永代橋をたちまち潜り抜けて両国方向に進む。さあ、 戻ろう。 永代橋を途中まで渡って引き返した記念にこれだけは昔もあった 「えいたいばし」の礎を撮る。毎朝、たしかにこの礎は見た。 古い記憶は視界狭くしか残らない。 そのあとどうしたか。 橋のたもとのバス停から丸の内北口行きの都バスに乗り、 再び橋を渡って東京駅に戻った。 永代橋を乗り物で渡ったのは初めてのことになる。
by northend
| 2008-09-18 22:31
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